ヒナまつりアニメ化が心配

 

 『ヒナまつり』のアニメ化にビックリしたし、正直心配だという話

 

 

超能力少女とヤクザの日常を描くギャグ漫画『ヒナまつり』のアニメ化が決定。このニュースを知って、本作の大ファンである僕は混乱した。自分の旗幟を鮮明にしたかったが、頭の整理が全くできない。結局その日は思考停止のまま布団にもぐり込む体たらく。新田ヒナアイコンとして情けない限りだ。第一報から幾分か経ち、平静さを取り戻してきたので『ヒナまつり』アニメ化に対する感想(懸念)を少しだけ書いてみる。取り合えずは僕が考える本作の魅力2点と、それにまつわる懸念を紹介したい。

 

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1点目は空気感。『ヒナまつり』はコマの大小や会話の省略を活用して独特のテンポや間を生み出している。ぶっちゃけそれを文章で表すのは難しいので、未読の人は実際に手に取って確かめて欲しい。きっとクセになるはずだ。アニメ化決定の報を受けてまず思い浮かんだ懸念が、この空気感のスポイルだ。Twitterでも同様の声は散見された。漫画とは全く異なる媒体のアニメで、原作のテンポや間をどこまで再現できるのか甚だ疑問ではある。本作の生命線ともいえる空気感を再現できるか否かが、アニメ化成功の分水嶺だろう。

 

魅力の2点目は登場人物の認識のズレや勘違いを利用したギャグと、それを際立たせるモノローグだ。例えるならば、お笑いコンビ「アンジャッシュ」のコントに近いだろうか。勘違いギャグの代表選手は、ヒナの超能力によって不本意ながらも「極悪非道の武闘派ヤクザ」として名を馳せてしまった新田や、規格外の有能さゆえに女子中学生(女子高生)なのにも関わらず企業経営者にまで上り詰めてしまった三嶋瞳だ。ストーリーは常に彼らの意に沿わない形で進行していく。彼らの実像と周囲からの期待のギャップは、多用されるモノローグによって浮き彫りになり読者の笑いを誘う。これが本作特有の面白味だが、アニメ化のネックでもある。なぜなら勘違いギャグ自体はいざ知らず、モノローグが多用されるギャグアニメって薄ら寒くないだろうか?正直、スベリ散らかすビジョンしか見えない。

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(娘であることを隠しながら、社長として部下である父親の悩みを聞く三嶋瞳の図 )

 

……ここまでグダグダと文句を垂れてしまったが、『ヒナまつり』のファンとしてアニメは観たいし、期待もしたい。制作陣はプロである。僕みたいな素人が考える不安要素を全て払拭して、素晴らしいアニメに仕立てる可能性も十分ある。というか、その可能性のほうが高い。結局のところ大武政夫先生を含めた制作陣を信頼して放送日を待つのが、ファンとしての務めなのだろう。とりあえず「基本的には楽しみ」というスタンスで構えたいが……やっぱり少し不安だなぁ。(結局頭の整理は全然できなかった)

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アニメ化決定の大行進に、一抹の不安を抱えながらも取り合えず付いていく僕(画像右端)